児童養護施設から始まった当法人は今年で設立約130年となりました。45年前に保育園、15年前には特養,デイ,ケアハウス,居宅支援事業所と加わり,3千坪の敷地に6事業所が一つの建物繋がっています。そして,平成24年の4月から小規模多機能ホーム,認知症グループホーム、高齢者向け住宅が同じ敷地内にできました。
法人の理念である「いのちのかがやき=どの世代も一人ひとり,毎日を自分らしく生きてほしい。」との願いを持って0歳から100歳以上の各世代が生活をしています。
老人施設との合築により「世代間の交流」が私達の課題となりました。何から始めたらいいのだろう…。
気持ちはあっても手段を知らない私達。わからないならできることから始めようと行事に招待することから始めました。
七夕会,夏祭り,運動会,敬老のお祝い会…。見ていただくことばかりです。利用者さんは子どもの姿を見るだけで満足されるのですが,子ども達にとってはお客さんがきているだけ…。これでは「世代間交流」の意味がないように思えました。
特養の職員と一緒に「ふれあう交流」の取り組みをしようと考えだしたのが「合同音楽クラブ」です。世代を超えて一緒に共有できることが「音楽」だからです。「ふれあう交流」として月に1回の定例にしました。
音楽で楽しく「ふれあう」ことを目標にプログラムを考えました。そのためには自分が勉強しなくてはと関連の本を読み,「音楽療法」の研修会に手当たり次第参加しました。集団で「音楽」を道具として楽しむ方法が知りたかったからです。導入の仕方や音の出しやすい楽器について,クールダウンの方法など学ぶことがたくさんありました。講師の方が言いました。「子どもとお年寄りと一緒はやったことがない。でも,音楽はみんなが共有できるものだから必ず楽しめるよ。」
「音楽クラブ」は特養の利用者さん(希望者)と年長児・年中児が歌ったり,楽器を演奏したりして30分を一緒に過ごします。ある時,円形に座った利用者さんの内周を子ども達がリズムに合わせて移動して,音楽が止まったところでペアになり,お互いに自己紹介をしました。「入所してから初めて声を聞きました。自分の名前を言ったんです。」と介護士さんが泣いて話してくれました。
子どもと一緒に過ごすことで今までにない表情を見せてくれたり,うなずくだけだった利用者さんが大きな声で歌ったりするのです。元気いっぱいの子が利用者さんの手を大事に握っていたり,動かない手を優しくなでくれたりします。介護士も私達保育士も感動の連続でした。
「すべすべだね~。今じゃシワシワだけど,昔はツルツルだったんだよ…。」
「じゃあ、ママもおばあちゃんになったらシワシワになるの?」
「そうだよ,あの先生だってシワシワばあさんになるんだわさ。ハッハッハ~」
「シワシワばあさんだって,おもしろ~い。」
ある日の「音楽クラブ」での会話です。利用者さんは子ども達を過ごすことで自分の子どもの頃や自分の子育て時代を思い出すようです。子ども達はたくさんのほめ言葉と笑顔をもらい自信をつけます。そして,お互いに自分の存在を感じるようです。それは私達職員も同じことでした。「一緒に過ごせてよかった…。」と思うのです。
「音楽クラブ」の活動が7年を過ぎた頃から特養と保育園の職員間で少しズレを感じるようになってきました。日にちを伝えても当日の介護士に連絡が行き届いていない。「音楽クラブ」への介護士の付き添いがない。保育園がやっていることだからと思っているのか協力的でない介護士がいるなど,年を重ねる度にズレが大きくなってきたのです。
それには理由がありました。介護士の入れ替わりが多かったのです。また,フロアー異動,ユニット制の導入などもあり、業務に精一杯で「世代間交流」の大切さを新人職員に伝えることができないのです。
保育園は職員の異動もなく,子ども達が入れ替わるだけです。小さい頃から行事等でふれあっているので「音楽クラブ」を楽しみにしています。そして,利用者さんもメンバーはずいぶんと変わりましたが月に一度の会を心待ちにしていてくれます。段々と特養と保育園の職員の意識のズレからか,年数が招いたことか「音楽クラブ」がマンネリ化し,行事的なものになっていったのです。
そして,5年前に別の問題が起こり「世代間交流」が中断されることになりました。
「新型インフルエンザ」の流行です。今までも感染症がある場合は職員の行き来も制限して,お互いに持ち込まないようにしてきました。しかし,「新型インフルエンザ」の影響は大きかったのです。半年間の交流中止は年長児が卒園し,年中児が年長児になっていました。半年間のブランクで「世代間交流」の積み重ねができていない子ども達が年長児になったのです。
「世代間交流」は最初に戻ってしまいました。子ども達が利用者さんと顔を合わせる回数を増やすことから始めました。職員同士は利用者さんの状態や子どもの状態を伝え合い,新しい「世代間交流」のあり方を探し始めました。
「世代間交流」の修正は「日常的な交流」と方向転換することになりました。利用者さんの介護度が進んでいること,子ども達の中に発達に歪みがある子が増えていることなどから無理なく交流することになりました。
特養中心だった交流からガラス扉でつながっているデイサービスと年長児による「日常的な交流」を始めました。少人数同士による折り紙やゲーム。誕生会では手作りカードと歌でお祝いをして,一緒にケーキをいただきます。共同制作では絞り染めをしてタペストリーを作りました。その年のデイ主催の「卒園おめでとう会」では利用者さんと職員からの「おめでとう」の寄せ書きと手作りの「ドラえもんの反射板」をいただきました。お別れが淋しくて何人もの子が泣きだします。利用者さんも涙ぐんでいます。それだけ深いかかわりができたのです。
特養の利用者さんとの交流も再開しました。音楽での交流は変わりません。1F・2Fとフロアーを分け,年長児も2グループにしてそれぞれの利用者さんに合ったことをすることにしました。今までの交流と違いお互いが見渡せて,のんびりとしています。
職員間も連携を良くするため「世代間交流」のリーダーを決め,日程調整,内容の確認などをして職員の交流も深まり,一緒に楽しめるようになりました。
「世代間交流」は誰かが背負ってはいけないのです。子ども達に負担があっても,利用者さんが我慢しても,職員が力みすぎても…。基本はそこで過ごす人たちが笑顔でのんびりと優しい時間を共有することなのです。「世代間交流」をやらなきゃと職員に力が入っていた12年間。半年間の中止の期間があって,改めて「世代間交流」の大切さを思い,肩のチカラが抜けて,自然と動けるようになったような気がします。新しい施設も増えました。あちらこちらでみんなの笑い声が広がる場所,伸ばした手と手がつながる場所にしていきたいと思っています。